人は
違う人と会うことが出来ないように、
同じ時間に別の場所で
目の前にいる人と真後ろにいる人を
同時に見ることが出来ないように、
同じ場所で違う2人の別の会話を
同時に聞くことが出来ないように、
右手で誰かの手を握ってる時に
別の誰かの手を右手で握れないように、
体がひとつしか無い以上、
ひとりの限りある中を生きている。
その限りがあることを
可能なものに変えて行くのが
仕事や人生な訳なのだけど、
みずから 一歩
踏み出してもらえれば、
僕も助かるなぁ
と思う訳です。
それは、
君の勇気なのかも知れない。
プライドや恥を捨てること
かも知れない。
まぁ 何でもいいんだけど、
柔軟な自らの想いある一歩は、
道を拓くものでもあると言うことを
本当に
身を持って知って生きてる人には、
必ず未来はある。
未来は拓けるのです。
礒野好絵 写真
例えば太陽エネルギーは、
地球の上に分け隔てなく降り注いでいる。
全ての生き物に
分け隔てなく。
だけど、
それでも枯れる植物がいる。
分け隔てなく
降り注いでるのに枯れてしまう。
それは、
自ら日陰にいる植物。
ひとりで頑張らず、
自分以上の大きな世界の力に
味方されることを
心底許可して生きている
誰かに見守れながら育つ
観葉植物ようであるなら、
太陽は然程必要はないけれど
日陰では育たないのに
日陰にいる植物。
地球は今日も止まることなく回って
太陽の角度を変えてはいるけれど、
朝夕に、
ほんの少しの時間だけ太陽は届いても
さんさんとエネルギーが降り注ぎ
多くの生き物達が動く
昼間ほどの活動量は出てこない。
色々と違いはあれど、
太陽は分け隔てなく降り注いでいるのだ。
日陰からみたら、
太陽を浴びてる植物達は
輝いてもみえるだろう
羨ましくもみえるだろう
妬ましくもみえてるかもしれない
寂しく思ってるかもしれない
涼しいから
ここでいい
と、
変わりたいのに
変わらずにいるのかも知れない。
色々ひとりで思っていても、
分け隔てなく降り注いでる太陽なのだ。
思い切って日陰から
えいっ!って
飛び出してみ。
たった一歩で
心の持ち方が変わるのなら
日陰から見てた世界とは
実は眺めは違うかも知れないなら
たった一歩で
明日が 未来が 変わるのなら
今は、どんな自分であっても
それも良いんじゃないかな。
僕は気にしない。
意外と
意外と
ほんとに
君が知らないくらい
日向は気持ち良いよ。
な。